くらしに、ひと呼吸

人と人 コミュニティ その2 私はきく

日常がへこんでしまった

2011年3月11日、東日本大震災が起きました。ライフラインが止まり、物が手に入らない。沿岸部では津波によって命が失われ、原発事故によって故郷を離れざるを得ない人々がいました。地震で半壊や全壊となった家も多く、発災によって状況が一変したのです。まるで日常がベッコリとへこんでしまったように感じました。

「いま」「ここ」から

へこんだ日常をなんとか元に戻したい。そう思って、全国のお寺や門徒さんから届いた物資を避難所に届けたり、炊き出しを行ったり。「お風呂に入りたい」という声に応えて、薪ボイラーの仮設風呂に入ってもらう活動をしていました。
失敗や対立もたくさんありましたが、そこで新たに展かれてくる出会いや関わりを通して、どんな時も「いま」「ここ」から新たに始めていくのだと、立ち上がっていく人たちの姿に気づかされました。

仮設風呂へのバケツリレー(2011年)

私にはわからないところがある

東日本大震災から12年が過ぎて、さまざまな思いや言葉に出遇わせてもらいましたが、特に心に残っているのは岩手県陸前高田市で避難所になったお寺の方の「私にはわからないところがある」という言葉です。
どの人も悲しみを抱えているのに、家が残ったかどうか、家族が無事かどうか、親戚や知人がどうだったかによって「あなたは残ったからいいじゃないか」とすれ違いが起きていく。起きたことによって人は分け隔てられていくし、人の共感や想像力には限界があります。だから、わかったことにしないという関わり方が大切なのだと教えられました。

私はきく

震災の追悼行事の中で作った文章に「私はきく あなたの悲しみがわからないから」という一文があります。だけどやっぱり聞くのは難しくて、僕自身、自分の子の言葉もなかなか素直に聞けず、思いを受けとめきれずに口を挟んでしまいます。
すれ違いたくない。どこまでも聞けない自分だけれど「私はきく」という願いに、自分の姿がかなっているのか、この言葉に立ち帰らせてもらっています。
そして追悼の文章は「私はきく 生きたいと叫ぶ私の声を」と続きます。実は僕たちは自分のことがわからないということもあるのだと思います。心が落ち込むと知らないうちに食事がうまく摂れなくなったり、外に出ることができなくなったりする。誰かに話すことで自分がどう感じているのか、その声を聞く。
他人のことも、自分のことも分からない部分がある。コロナ禍で日常が大きく変化してきた中で、人と人が関わること、その声を聞くということの大切さを今、あらためて感じます。

真宗大谷派 徳泉寺(とくせんじ)住職
関口 真爾(せっきー)

仙台市宮城野区に所在する徳泉寺の住職。地域のお祭りや町づくり、防災、学校支援などに参加。コロナ禍で孤立化が進むなか、お寺を気軽に立ち寄れる居場所のひとつにしていきたいとの思いで、さまざまな活動に取り組んでいる。

真宗大谷派 徳泉寺(とくせんじ)住職<br>関口 真爾(せっきー)先生